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` 越後の文人僧 「良寛さん」 のことは、以前も記事にしました。 実はその業績について、存命中はほとんど世に知られることはなかった、といいます。 その文学的、書道的な才能が世に知られるようになったのは、 40歳も歳の離れた 「貞心尼」(ていしんに) という美貌の尼との交際の結果なのです。 (良寛・貞心尼、相対の像 :良寛の里美術館) ![]() つまり、互いの尊敬・信頼・恋情という 現実的な交流を経て最終的には、 “愛する人の足跡” を朽ち果てさせてならぬ という彼女の一途な想いで、良寛の業績が 現在に伝わっている ということなのです。 そんな貞心尼が暮らした草庵を訪ねました。 長岡市福島町にある 「閻魔堂」 がそれです。 (女僧の庵なのに、エンマ堂って...。 ^^;) ![]() ![]() 『貞心尼』 の“人となり” については、2枚目の画像をクリック!(笑) 本名を 「奥村ます」さん というんだそうだ。 バツイチになって、柏崎市の閻王寺で剃髪して尼となったそう。 (それで自分の庵の名が“エンマ堂”なのね。) 貞心尼さんは武家のお嬢さんで読み書きが得意、いわゆる“文学少女”だったようです。 であるばかりでなく、 『長岡きっての美貌の持ち主』 であったとも言われています。 (画:拝借もの) ![]() 若いときから和歌の道を志していた貞信尼さんは、 「良寛さまのお弟子になりたい、 なりたぁ〜〜いっ!」 と思い立ち、 良寛さんの住む和島村島崎(現長岡市)に通い出します。 しかしわずか3年半後、良寛さんは没してしまいます。74歳でした。 貞信尼さんは、あちこちと良寛さまの足跡を尋ね歩き、 師の歌を集めてまわり、良寛歌集 「蓮の露(はちすのつゆ)」 を完成させます。 そんな貞心尼さん。 なんと亡くなったのは、明治5年!(76歳) (明治5年って、新橋〜横浜に汽車が走った年ですょ。) 江戸時代の良寛さま と 明治まで生きた貞心尼さん が繋がってるのは、感慨深いなぁ。 貞心尼が良寛さまを訪ねる姿を、けっこちゃーんがブログでスケッチされてます。 そちらも良かったら覗いてみてください。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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なんだか 映画のような お話ですね。 |
映画ファン 2007/04/26 21:33 |
尼さんも閻魔さんも、みーんな恋には、負けちゃうんだよねえ。 |
あねご URL 2007/04/27 09:29 |
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芸術とは情念?@えち 2007/04/27 10:52 |
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修行したのね、やっぱ!@えちお 2007/04/27 10:53 |
“物より思い出”とかいうキャッチコピーがあったけど、その通りかも。 |
けっこちゃーん 2007/04/27 13:23 |
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えち、...在り得るハナシだなぁ。 2007/04/27 21:35 |
ほっほう 日報に連載中? |
世捨て人 けっこ 2007/04/27 23:13 |
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えちお、ヨロピクゥ〜! 2007/04/28 00:04 |
トオちゃんが↑見たいな人だから、うちは読み書き新聞なの。 |
巨人大鵬玉子焼き 2007/04/28 00:20 |
わぁ〜。良寛さまのお話だぁ。(と寄ってきました) |
まだむ 2007/04/28 20:51 |
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えちお。ウゥ〜ム、なんだかエロいが...... 2007/04/29 22:41 |
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